2015年12月25日金曜日

本命バレンタインチョコはやっぱりモロゾフ ~カフェモロゾフを訪れて~ 2015/11/22


 新年を迎えるとそろそろバレンタインデーが気になってきます。本命のあのひとに、思いをこめてとっておきのチョコを...。そんなトキメキ女子を代表して、語り継がれる本物の味を確かめてきました。

 1931年、神戸トアロードのチョコレートショップから出発したモロゾフ。モロゾフといえば1932年に日本ではじめてバレンタインチョコレートを発売したことで知られています(1936年、当時日本で発行されていた英字新聞にバレンタインデーの広告を出していたそうです)。
 以来、ガラス製の立派な容器に入ったおいしいカスタードプリン(発売当時、神戸の女子大生からは「デカプリン」という愛称で評判になったそうです)。チーズケーキブームの先駆けとなったクリームチーズケーキなどこだわりの商品でヒットを飛ばし、神戸を代表する洋菓子メーカーになりました。そんなモロゾフさんのカフェがあるということで、行ってきました。

いざ「カフェモロゾフ」へ!! 



 三宮駅から歩いて約5分、「KOBE 三宮センター街」の看板があり、そこからしばらく歩くと“カフェモロゾフ センター街ショップ店”がありました。

カフェモロゾフ センター街ショップ店
〒650-0021 兵庫県神戸市中央区三宮町1-8-1 



さっそく注文 

 

 店の奥にあるカフェにはチョコレートのメニューがなかったので、表に売られていた「アルペングロー」という新発売のチョコレートを注文。カフェでゆっくりと食べることにしました。飲み物は紅茶を注文しました。


紅茶とチョコのハーモニーにうっとり

  
アルペングロー ヘーゼルナッツ

 アルペングローは、チョコの中にナッツが入っています。紅茶とチョコの相性がとてもよく、より一層美味しく食べることが出来ました。
 店内は家族連れが多くとても賑わっているのが印象的でした。
 日本にバレンタインチョコレートの文化を広めた「モロゾフ」は老舗ブランドでありながらも新たな商品を次々と生み出している。それが今でも人気の秘密のように感じました。
 バレンタインの日、意中のひとに思いを込めてモロゾフのチョコを手渡せば、きっとあなたの思いはかなうかも!!


参考
「バレンタインとモロゾフについて」http://www.morozoff.co.jp/quality/valentine/index.html
取材協力:モロゾフ株式会社


取材:松下優花

2015年12月20日日曜日

神戸でシュワッチ 後編 2015/11/15

ポートライナーに乗ってウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟のロケ地になっている市民広場駅に向かいました。


シーン1:テンペラー星人が襲った工場 

メビウスでは特撮セットを組んだので違いはありましょうがここからテンペラー星人が襲った工場が見えますね。


シーン2:にせウルトラマンメビウスが攻撃するシーン@ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟


当日は神戸マラソンで人がいっぱいでした。


シーン3: 「奴はメビウスじゃない!ザラブ星人だ!」のシーン


 おそらくここらへんの場所でヒビノ・ミライ(ウルトラマンメビウス)が住民に対し「逃げろ!奴はメビウスじゃない!ザラブ星人だ!」と苦しみながら叫ぶシーンのところでしょうか。


 神戸を舞台に数多くの作品が作られています。2000年に設立され15年にわたって映像作品の支援をしてきた神戸フィルムオフィスではこれまでに2000本以上の映像作品を支援してきたそうです。旧居留地、南京町、賑やかな街中を横切って坂を登れば異人館と、神戸には他にない魅力的な場所がいたるところにあります。神戸が舞台となった作品を見て、わたしたちが気づかない神戸の顔を発見するのも楽しいですね。



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神戸フィルムオフィス クロニクル
http://www.kobefilm.jp/data/kobeFilmOffice_Chronicle.pdf
※ポートアイランド市民広場で撮影された「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」のワンシーンも紹介されています。


取材:山本友樹





神戸でシュワッチ 前編 2015/11/15


 今回のテーマはウルトラセブンの「ウルトラ警備隊西へという神戸を舞台にしたエピソードの撮影地点の特定とこちらも神戸を舞台にした作品「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」という映画の撮影地点の特定をしていきたいと思います。


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ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟(制作年度:2006年)
 いまから20年前、究極超獣Uキラーザウルスに挑んだウルトラマン、セブン、ジャック、エースの4兄弟は、激しい戦いの末、自らの光エネルギーと引き換えにこれを神戸沖に封印した。そして時は流れ、現在。Uキラーザウルスを復活させようと企む宇宙人連合が出現、計画の邪魔になるウルトラマンメビウスを狙ってきた!
 メビウスと地球に、かつてない危機が迫る!!(バンダイビジュアルHPより)

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ポイント1:ペダン星人とダンが話し合っていたところ!?

 そこそこ苦労してモザイク到着。ロッテリアがある地点から撮影するとこのようにオリエンタルホテルとポートタワーが一緒に見ることができる絶景ポイント到着。



 足元に階段があったのでそこからパシャリ。


 ペダン星人とダンは一回目の話し合いをしていた場所でしょうか?
 ウルトラセブンが放映されたのはもう半世紀近く前の出来事。港は姿を変えており、ぴったり納得する地点を割り出すのはほぼ不可能に近い作業なのです。
一応目星はつけて書きますが実際の撮影地点とは違う可能性があります。ご了承下さい。

ポイント2:キングジョーとセブンが戦ってるところ!?

 
実際の放送ではここではミニチュアが組まれ、実際の神戸では撮影されませんでした。柵もありませんでしたし。


セブン人形とキングジョー人形を並べて飾るとこんな感じ。


でもポートタワーをバックに戦ってたシーンもあるのでこの地点か?

ポイント3:夕焼け時でのダンとペダン星人の会話のシーンとライトンR35を運び入れたところ!?


 おおそらくこのライトンを放つ時にはセブンとキングジョーの戦うエリアが変わっていっていたということでしょうか(劇中でそのような描写はないけど)

キングジョー人形と並べて1枚。


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ウルトラマンワールド M78@umie


umie内には円谷プロ(ウルトラマンを製作してる会社)のオフィシャルショップがあります。店内には様々なウルトラマンのグッズがあります。ここでしか買えないアイテムもあるので神戸によったさいは是非!


真のせいでカラータイマー部分が紫に見えますがきちんと青く光ってますよ。

 MOSAIC2階



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                             取材:山本友樹




2015年12月17日木曜日

汗も滴るイイ男西田が夜のポーアイを疾走@ランスタ神戸の巻(後編)2015/10/22

 13人ほど集まって、店長の「そろぼち行こか~」の掛け声を聞きみんな外に出て行った。

 体操が始まった。それは体育でいつもやっているやつだ。15分くらい入念に体操した。「さあ」という永瀬さんの合図でみんなおもむろに走り始めた。初めは軽くジョギング程度だった。しかし神戸大橋にさしかかった頃からおじさんたちが一気に走り始めた。僕は慌ててギアチェンジした。近藤はここでリタイア。



 ポートライナー沿いにひたすら走った。ポートピアホテルを横目に突き進む。僕は体力温存のため、セーブしながら新人さんと走ることにした。少し経ちスパートをかけ、あの有名な京コンピューター駅から前列に追いついた。


神戸空港にさしかかったあたりで走りながらインタビュー!(赤字=西田)

(ビギナーのAさん)
ランスタに参加しようと思った理由は?

一人でずっと走ってたんですけど、それやと自分の実力とかわからんし神戸マラソンにエントリーして、友達にええとこあるで~って紹介してもらったんがランスタやったんです。

(永瀬店長)
やっぱランスタに来てる人ってみんな走るんが好きなんですよね~

それもあんねんけどな、出会いの場でもあるよ。うちの女性のお客さん独身の人多いからな、やっぱ同じ趣味の人と出会いたいやろ?

そうっすね、俺もスポーツやってるひとがいいです!

おお~ええな学生さん楽しそうやな~がんばれよ!

(ベテランさん)
お!追いついたか!

ぼく(西田)は、まだまだ平気っすよ

やるな~オレもうトシ食ってるからキツいぞ。学生時代に戻りたいわ!

むかしから走るん好きなんですか?

学生の時からよく走とったで~。やっぱり仲間と走るのが楽しみのひとつやねん!

いいっすね!でもぼくもラクロスやってて毎日走ってるんで負けられないっすよ

おしゃれなことやっとんな~!がんばれよ!





 こんな感じでみんな疲れているのにぼくを気にかけてくれた、温かい人たちだった。
 そうこうしているあいだに神戸空港に到着。コンクリートに足を持っていかれたが、現役の意地でなんとか走り切った。

 

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毎日走っているし、余裕だと思っていたけど全然そんなことなかった。とてもしんどかったけど、この達成感はたまらない。夜景がとてもきれいだったけど見る余裕がなかったのが残念。(西田)
 
 走り始めて一瞬でリタイアしてしまったのが残念。でも、いろんな方にお話していただきました。若いことの素晴らしさとか教えていただき、今しかできないことをたくさんやろうと思いました。社会勉強にもなりました。(近藤)

取材:西田 一貴

汗も滴るイイ男西田が夜のポーアイを疾走@ランスタ神戸の巻(前編)2015/10/22


「店長と走ろう~神戸空港ナイトラン~」に参加してきました。

ランスタ神戸ってなに??

RunSTA「ランスタ神戸」
658-0032 兵庫県神戸市中央区御幸通4-2-9-1F
http://www.run-sta.com/


 ランスタとは、ランニングステーションの略です。ランスタが誕生したのは東京で、皇居を走るランナーのためにできた簡易更衣施設が始まりです。つまり原点は銭湯です。
 そして第一回神戸マラソンが行われた2011年に誕生したのが「ランスタ神戸」。シャワー室が男女2つずつあり、広い洗面台もありと、女性ランナーに優しいランナー専用の施設として誕生しました。

 
オシャレで清潔な店内(ランスタ神戸HPより)

 利用者の多くはマラソン大会出場を狙っている人ですが、今年になって軽く走ってみようという利用者も増えているそうです。客層としては意外にも40代から60代が多いということです。店長曰く、「若い人はしんどいことを自ら進んでしない」とのこと。
 ランスタ神戸は走る前や走った後に着替えたりシャワーを浴びるだけの施設ではありません。ランナー同士が語らうスペースもあります。それだけではありません。女性ランナーが走って、食べて、みんなで楽しむ「KOBE PICNIC MARCHE GIRLS RUN FES」、神戸森林植物園のすべてを走る「神戸森林植物園 クロスカントリー20km」、ハーバーランドやメリケンパーク、旧居留地など神戸ならではの景色や観光スポットをランニングする合コン「ランニング合コン」などいろんなイベントもやっています。
 そして、今日、参加させていただいたのが「店長と走ろう」というイベントです。なんと、店長の永瀬良輔さんは毎晩のように、お客さんといっしょに走っているそうです。なんと健康的なお仕事でしょうか!

走る前にちょっとインタビューさせていただきました。

ランスタ神戸店長 永瀬良輔さん

神戸マラソンとランスタ神戸の関係 

 関係なさそうに見えて実はあるんです。ランスタ神戸という施設があるから走る人が増える。神戸市とも協力してランニング用マップを作ったり、小さな(700人規模)マラソン大会を開いたりして、マラソン大会のPRをしています。

店長がやりがいを感じることは?? 

 脱サラしてランスタ神戸をはじめた永瀬店長、家族には苦労をかけたとおっしゃっていました。そんな店長がやりがいを感じることは、いろんな人との関わりを持てること。ふだん出会うことのないような人たちと関わることで人間の幅が広がるそうです。
 永瀬店長の夢は、ハワイに店を出すこと。すでに、ハワイでのイベントの計画も着々と進んでいるそうです。「ランスタhawaii」ができるのもそう遠くないかもしれませんね。


みんなから愛されている永瀬店長  


インタビューも終わって一段落。午後6時半、会社帰りのお客さんがどんどん入ってきました。服を着替え私たちも準備万端。

取材:近藤穂花

2015年12月15日火曜日

神戸の歴史を巡る ー港町神戸の近・現代ー 2015/11/30

 今回は、「兵庫歴史探訪ウォーキング」という本に書かれている散歩コースを辿ってみました。この本には、兵庫県の歴史的な建物や観光地を、駅から歩いて巡るコースを紹介されています。その中の旧居留地を中心としたコースを実際にたどってみました。

公園に溶け込み馴染む歴史


 まず初めに向かったのは、JR三ノ宮駅から南に進むと見える「東遊園地」です。一見すると普通の公園ですが、ここにも神戸の歴史を示すものがありました。
 一見すると公園の構造物のようですが、実は阪神・淡路大震災の慰霊と復興のモニュメントです。中央の入り口から地下に入ると、壁に被災者の名がずらっと刻まれています。かつての災害を忘れず、後世に残そうとする思いが感じ取れました。 


 公園の片隅には、当時の地震によってずれた堀がそのまま残されていました。
69cmもずれているこの状態が、地震の被害の大きさを物語っています。 

旧居留地が居留地だったころからある建築

次に向かったのは、「旧居留地十五番館」です。186年の兵庫開港以来、この地には次々と外国人用の建物が置かれました。そのなかで最も古い建物だったのがこの十五番館です。明治の面影を残したまま保たれ続けていましたが、阪神・淡路大震災により全壊してしまいました。関係者の努力により復元したそうです。外国の建物でありながら違和感なく街に混じる姿は、神戸という街の歩んできた歴史によるものだと感じました。

イギリスからやってきた傑作

 
次に向かったのは、「神戸市立博物館」です。
 神戸の歴史を知るにはうってつけの場所ということで行きましたが、この日「大英博物館展」という催しが開かれていました。イギリスの大英博物館から来た100の展示物を通して世界の歴史を知ろうという試みです。古代エジプトの棺やガンダーラの仏像、ゴアのキリスト像など、世界中の様々な年代の傑作が集められています。神戸の博物館に、海外から展示物が送られていて、神戸が他国とかかわりが強いことがわかります。
 常設展示のコーナーには、神戸と外国の交流に焦点を当てた展示がありました。まず神戸外国人居留地の模型があり、それまでの日本風の建物から西洋風の建物移り変わる様子が表現されていました。他にも洋家具、印刷、造船、マッチなど、当時の最新産業の展示が所狭しと並べられていました。実際に使われていたり、作られたりした道具を見ることで、幕末から明治にかけての時代の激変具合が見て取れました。




よみがえる神戸

 

最後に、メリケン波止場に向かいました。神戸の海を一望できるこの場所には、神戸港震災メモリアルパークがありました。ここは阪神・淡路大震災に絡んだモニュメントですが、慰霊の場というよりは、神戸の復興を事細かに説明する場でした。神戸の街は震災によって壊滅的な被害を受けましたが、県内外、果ては海外からの救援活動により、現在の姿にまでよみがえりました。巨大な災いが起こった際には、人々の協力と連帯が必要不可欠なのだと展示を見て思いました。
 またここには、震災によって崩れた波止場の一部もそのままの形で残されていて、地震の被害の凄まじさを伝えようとしています。


終わりに

神戸の街には、賑わった店々や歴史ある建物があるだけでなく、各地に震災の傷跡が隠されていました。これだけ目立たなくなっているのは、人々の努力と神戸に対する郷土愛によるものだと感じました。 

参考文献
ペンハウス(2010)『兵庫歴史探訪ウォーキング』メイツ出版

取材:高橋祐貴

2015年12月13日日曜日

神戸旧居留地いまむかし 2015/12/13

今年も神戸ルミナリエが旧居留地で開催されました。この神戸ならではの街、旧居留地の歴史を振り返ってみたいと思います。

商船三井ビルディング(海岸通5番地)

明治の幕開けとともに現れた近代都市

 神戸居留地は、神戸外国人居留地とも呼ばれ、安政五カ国条約に基づき、1868年1月1日から1899年7月16日までの間、神戸市中央区に設けられていました。広さは東をフラワーロード、西を鯉川筋、南を海、北を花時計線に囲まれた約25万7000m²の区域で、140年ほど昔にもかかわらず近代的な都市計画に基づいて開発されたのが驚きです。ちなみに居留地とは一定の境界を設けて外国人に居住、貿易を許可する区域のことで、土地は日本政府の貸与でした。

設計は若干27歳の英国人


旧居留地のジオラマ(神戸市立博物館)左が六甲山、右が港

 突貫工事で進められていた居留地の建設は、幕府が崩壊したため一時中断していましたが、外国側から、居留地を早期に開設してほしいとの強い要望がだされ、工事が再開されました。5月23日、新設の兵庫県に伊藤俊輔(後の伊藤博文)が初代知事として就任しました。伊藤は居留地設計の見直しを英国人技師J・W・ハートに依頼し、居留地建設工事は、島屋久次郎が請け負いました。その結果、神戸外国人居留地は、22街区・126区間に整然と区割され、街にはインフラの整備、街路樹やガス灯、レクリエーショングランド(後の東遊園地)が整備され、美しい街が誕生しました。
 

雑居地・南京町の誕生


夜の南京町広場

 神戸開港日、居留地はまだ工事中で、居留地に住む予定の外国人は住むところがなかったのです。そこで、外国人たちは居留地外での居住を認めるよう日本政府に訴えました。それによって、日本人と雑居できる区域(雑居地と呼ばれる)が認められました。雑居地は、生田川と宇治川、海岸と山麗に挟まれた区域で、横浜などの他の開港地にはない神戸特有のものです。
 神戸開港の半年後、長崎、横浜から中国人10数名が移住してきました。居留地の欧米人は、中国人を買弁(中国人と取引するときの仲介者とした中国人商人)、通訳などに従事させていました。しかし、清国は「条約締結国」ではなかったので、中国人は居留地に住むことが認められませんでした。そこで中国人は、鯉川をへだてた居留地西側に住み着きました。そこが「南京町(中華街)」です。


メリケン波止場の語源

 
神戸郵船ビル(海岸通1丁目)


 神戸開港に伴い、各国は神戸に領事館を開設しました。居留地の建設が開港に間に合わなかったため、開港直後、アメリカ、イギリス、オランダ、プロシア、フランスは、領事館を居留地の外側周辺に開設しました。神戸に最初に領事館を開設したのはアメリカでした。アメリカは1867年12月5日神戸村庄屋の生島四朗太夫の屋敷を借り上げて仮領事館を設置しました。場所は、現在の海岸通りの郵船ビルがあるところです。アメリカ領事館前の波止場「メリケン(=american)波止場」と呼ばれました。


居留地返還

旧居留地に立つ大丸百貨店

 1894年、日本とイギリスとの間に「日英通商航海条約」が締結され、明治政府の悲願であった不平等条約撤廃がやっと実現しました。これにより、居留地は日本に返還されることになりました。
 居留地返還式は、1899年7月17日午前10時から居留地行事局、現在の大丸デパートがある区画の南東の一角で行われました。

旧居留地と神戸の今

旧居留地に現存する唯一の商館である「十五番館」も全壊したが、1998年に復旧した。

 1995年の1月17日、阪神・淡路大震災で神戸は大きな被害に遭いました。旧居留地もまたその大震災の被害に遭い、国の重要文化財、居留地15番館も、元の姿を留めることなく倒壊し、旧居留地内のビルの22棟は解体を余儀なくされるほどの甚大な被害を被りました。あの悪夢から20年、神戸は見事に復興を遂げ今に至っています。

阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めるとともに、
都市の復興・再生への夢と希望を託して始められた「神戸ルミナリエ」は
今年で21年目を迎えた。

参考文献
川越栄子(2012)「神戸地域学-神戸の魅力を発見!-」大学教育出版
神戸外国人居留地研究会(2005)神戸と居留地 多文化共生都市の原像
旧居留地連絡協議会ホームページ
http://www.kyoryuchi-club.com/index.php
神戸市文書館(特集記事 神戸開港140周年によせて)
http://www.city.kobe.lg.jp/information/institution/institution/document/year/140syuunen.html
取材:平良賢一